コロナ禍に対処する為政者たち


  手に負えない新型コロナ・ウィルスを前にして、各国の対応が分かれ、為政者の質と能力が問われている。日本では、中央政府と地方政府の足並みが乱れ、方針を定めるはずの国会は閉じられたまま、肝心のリーダーの存在感が失われている。 どうしていいかわからないからこそ人は迷う。
  ふと思う。科学の知識が乏しかった古代の人たちは、今以上に天災、飢餓、疫病などを前にして無力だった。王たちは民の苦しみを救うために何をなすべきかを知ろうと、神託を求め、あるいは天体の示す予兆を読み取って、苦難脱出のために人知を尽くし、神に祈った。
  ソフォクレスの名作ギリシャ悲劇「オイディプース」の冒頭の場面で、テーバイの王オイディプースは飢饉と疫病に苦しむ市民を前に、次のように語りかけている。
  「テーバイの人々よ、テーバイが、かくも祭壇の煙と、祈りと、悲しみの声に満ち溢れている時、嘆願の小枝を手にして集まったのは何のためか。私はそのわけを、人をつかわして聞くのではもの足らず、みずから、いま、ここに現れた…。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP